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photo&text:Yufta Omata/CYCLING TIME.com
こんにちは。今日は栗村監督の「人」についてのお伺いしたいと思います。監督に生い立ちを詳しく語ってもらうということはこれまであまりなかったことだと思います。

そうですね。あまりなかったですね。
まず、どんなご家庭だったんですか?

家庭はごく普通でした。ちなみに一人っ子です。
誕生日は1971年の12月30日。大晦日の1日前ですね。

そうなんですよ。もう2日遅く生まれていればめでたかったんですけど(笑)
ご幼少の時はどんな子供だったんですか?

ごくふつうの子供でしたよ。公立の幼稚園に通う子供でした。4、5才のときに、読売のサッカースクールに通い始めました。母親がママさん友達と一緒に僕を連れて行ったら、上手だったらしいです(笑)。ラモスが19才とか20才くらいで、日本に来たばかりの頃かなぁ。僕はラモスの股をくぐったのを覚えています。
小学校に入ってからも、サッカー三昧だったと。

小学校から将来的にトップチームまで続く道のりの一番最初にあたる、小学校ユースでサッカーをしていました。でもサッカーが好きじゃなかったんで(笑)、サボりながらやってました。小学校まではそれでもできた。中学校ユースからは一回サボるともうクビ、という感じだったので、中学校からは部活動でサッカーをしました。
サッカーで将来の展望が保証されているような時代では無かったということですか?

そんな時代ではなかったし、単純にサッカーが好きじゃなかった。
でもサッカーは自分のやりたいものではなかったと。自分からやりたいと思ったことは何だったんですか?

それで最初にやりたいと思ったのは自転車競技ですよ。NHKでツール・ド・フランスを見て。ビデオが無かった頃なので、カセットテープに音声だけ入れて、それを繰り返し聞いていたりしましたね。
映像が無く、音声だけを?

走行音や風の音を聞いてました。「シャーー」って。
それが自転車に目覚めた最初のきっかけですか?

いや、自転車自体にはもともと興味はあったんですよ。小学生の頃は、夏に家族でよく長野に行ってたんですけど、その頃ツーリングが流行ってて、ランドナーとかパスハンティングで走りたいなって。
ツーリングブームの時代ですよね?

そうです。僕はそれ見てカッコいいなって。けっこう自転車とか改造したりしてました。自転車で日本一周したいという夢もありましたね。それでその後にツールの放送を見て、「こんなオイシイ仕事があるんだ」って思いましたね。
それはいつ頃ですか?

それは中一の時です。それでサイクルスポーツ誌の存在を中二の時に知って。それで中学生の時に、俺はレースの世界に行くのか、それともツーリングの世界に行くのかって、悩んだことがありました。まあ子供だったんで、そこまで深い意味はないんですけど、どっちかを選ぼうということに自分の中でなって。でもレースの世界を雑誌やテレビで知っていくうちに「レースだ!」って固まっていきましたね。中学を卒業する時には、高一からレースをやろうって決めてました。
ロードレーサーには中学校の時点で乗ってたんですか?

乗ってましたね。サッカー部で自転車ブームになって、10人くらいが買い始めて。それでみんなで、「ツール・ド・住宅地」みたいのをやってたんですよ(笑)
それはツール・ド・フランスを見てからですよね。

ツール・ド・フランスを見るようになって何が変わったかって、自転車に興味を持ったんじゃなくて、レース志向が強くなったということですね。

中学生の時の栗村監督はどんな生徒だったんですか?

部活がきつかったんで、もう学校行って試験受けて部活やって、休みの日はレースごっこしてって。もうそれで毎日が過ぎていきましたね。
クラスの中ではどんなタイプだったんですか?

僕は「遅刻の帝王」でしたね(笑)。まあ実際はギリギリセーフだったんですけど、ガクランの下はいつも寝間着で(笑)今でもクラス会では「あの時の栗村君は寝間着を着てた」って言われます。
スポーツもできて、人気者だったのでは?

今思えばあの頃がピークだったかもしれないですね。人生に2度あると言われている「モテ期」は中学の時だったかも。もう1回はどっかいっちゃってますけどね(笑)高校に入って自転車を始めて、社会の日陰に入っていったと(笑)