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パールイズミのサポートするトップアスリートたちの最新情報掲載
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photo&text:Yufta Omata/CYCLING TIME.com
もうシーズンも始まっていますが、今のチーム・ミヤタについてはどんなチームになったのでしょうか。
僕が最初監督を引き受けて、監督になりながら作ってきたチームのほぼ完成形に近づいてきてます。それなりに露出もあって、若い選手もウチのチームから出て上位チームに入っていますし。クラブチームの若い選手達もミヤタに入ったら強くなれる、という認識をもってくれるようになりました。チームの思想だとかは周りに共通の意識として出来上がってきて、ひとつの形にはなったと思います。ここからもし常勝軍団にする、とかであれば監督は僕でない方がいい。これから先のことは宮田工業の判断になってきますが、僕の今のスタンスは、若い選手を何人か回して、強い選手を置いて。それで情報を伝えていって、国内のレースのチーム側から見た情報として発信していくと。これはだいぶ出来てきているので、あとは継続させるだけですね。これに伴ってミヤタのバイクが売れたりだとか、スポンサーさんの売り上げが伸びたりだとかすれば、実質的なチームの価値に近づいていくと思います。僕はそれをもう一つ大事なことに考えていて、チームが年間に使うお金より大きな経済効果を生み出さなくてはいけないというのは、チームをひとつの企業として考えたい僕としては、年間トータルマイナスのチームはどんなに強くても僕は許せない。
さきほどもお話ががありましたが、これからの日本のロードレース界における「栗村修」の存在意義とはどうしたいと考えていますか?
方向性的には日本のレース界の仕組みをつくっていくところに入っていきたいんです。まず選手がいて、チームがいて、その上にレース主催者がいて、スポンサーさんがいて、一番上にメディアがあるんですよね。まず、メディアが無くなったら、プロスポーツは全てが無くなるんです。だからレースの仕組みを作れて、コントロールできる場所、そういうところに将来的には入っていって仕組みづくりをやっていきたいですね。今出来るのは現場での草の根活動。逆に言えば、現場で情報を発信してみんなを同じ方向にむけることがしなくてはならないこととも言えますけど。それで共有した情報をいつか中心部でコントロールできたらと思います。僕は選手をやっていたときから、一見主役のようでいて、実は一番代役が利くのが僕ら選手なんだなって考えてました。
 誰がレースを走る環境をつくっているのか?ということですか。
シマノと契約した時も、それこそ今のように高額をもらえる環境ではなかったにせよ、ウン百万というお金を果たして僕はシマノに返せているのかっていつも考えていました。選手の価値とはなにか、それは選手時代から常に意識していましたね。だからそれを分かっている人がコントロールできるところに数人いれば、どんどん変わっていくと思うんですよね。スポンサーさんやメディアを大切にするし、そのおかげでメディアももっと取り上げてくれるという相乗効果が生まれるんです。
監督がチームのマネジメントをする例も多くありますよね。チームCSCのリース監督はまさにそんなタイプです。
自転車チームって他のスポーツに比べると監督がチームのマネジメントをするという傾向はありますね。だけど、近年はマネジメントに特化した人がいて、その人がスポンサーを見つけて監督を雇うという形態もある。その意味で、チーム内の役割分担は重要になってきているのは確かです。他のスポーツより規模が小さい分、リースのようなやり方も根強いんですけれど、本当に今僕らが学ぶべきなのは、自転車チームではなくて、もっと巨大なプロスポーツの仕組みであったり、世界トップクラスのイベント会社、A.S.O(ツール・ド・フランスの主催組織)であって、これをみんなで見ていかないと、って気がするんです。
A.S.Oは営利団体ですが、日本のレースはどうしても非営利の印象が強いです。
実業団連盟がその辺りは今リードしていて、将来的には営利団体でいいだろうと思います。Jツアーも去年からスタートしていいカタチになってきていますし。実業団連盟がどんどん巨大化していってピラミッドを形成できるようになるのが、今一番手っ取り早いのかな、という気はしますね。今年は実業団の登録選手も増えて、昨年の改革は結果的に成功を収めましたね。このままどんどんうまくいってみんなが高級車を乗り回す日が来ればいいんですけど(笑)
 最後にお気に入りのパールイズミ製ジャージを教えてください。
大塚製薬ノックスチーム在籍時のジャージです。
1995年シーズンの成績で、実業団ランキング三位になって、
シマノ初の契約選手として移籍するなど、選手として飛躍の年なりました。
10代から始めた選手生活でのひとつの山場となった年で、今でも思い出深いです。
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