Interviewer

栗村 修(Osamu Kurimura) 元自転車プロ選手。引退後はチームコーチ、監督、レース解説者、ツアー・オブ・ジャパンの大会ディレクターを務めるなど多方面に渡って活躍。日本の自転車界を最もよく知る伝道師。 1971年、神奈川県生まれ。

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ホセ・ビセンテ・トリビオ・アルコレア選手(Jose Vicente Toribio Alcolea) 8歳から自転車レースをはじめ、スペイン国内で活躍。 ブエルタ・ア・エスパーニャに3度出場を果たす。 2013年、UCIプロコンチネンタルチーム「アンダルシア」より、チームUKYOに加入。 2015年、チーム マトリックス パワータグへ移籍。 2013年、2014年、2016年のJプロツアー個人総合1位を獲得。 スペイン出身。1985年生まれ。 吉田隼人選手(Hayato Yoshida) 祖父と父が競輪選手という環境で育ち、小学生のころから自転車レースを経験。 自転車の名門、榛生昇陽高校を経て、鹿屋体育大学へ。 2007年、アジア自転車競技選手権ジュニア部門優勝。 2011年、全日本選手権U23個人タイムトライアル、明治神宮クリテリウム、国体ロードレース優勝。 2012年、チーム ブリヂストン アンカーに加入。 2015年、チーム マトリックス パワータグへ移籍 奈良県出身。1989年生まれ。

強豪大学はプロチーム同様に
有望な選手を集める

栗村:吉田選手は、日本の自転車競技のエリート路線を歩んできました。2007年、アジア自転車競技選手権のジュニア部門で優勝もしています。高校時代は、ロード、トラック(一周400~500m。カーブを減速せすに走れるように傾斜がついた楕円形の走路で行う競技)含めて、どんな練習をしたのですか?

吉田:トラックをメインにやっていました。

栗村:競輪選手を目指す人は多かったですか?

吉田:多かったです。当時、僕以外にロードレースの世界に入った人はいませんでした。祖父と父は競輪選手ですが、常に自転車のある環境で育つうちに、ロードレースがカッコよく映っていて、その道に入りました。

栗村:高校卒業後は鹿屋体育大学へ進学します。鹿屋体育大学は、2013年に日本大学のインカレロードの連覇を止め、その後も躍進を続けています。自転車競走部OBから見て鹿屋体育大学の強さを教えて下さい。

吉田:練習環境がいいですね。上りの反復や短い上りのインターバル、ロングも4~5時間回れるコースを取りやすく、信号は10個ある程度。ほぼノンストップでいけます。プロになってから北海道や沖縄で合宿も経験しましたが、鹿屋はいいと思いました。
また、年に2回、大学の体力測定でVO2MAXを測ります。これが当たり前と思っていたところ、他のチームの中には設備がなかったりします。恵まれた環境でした。

栗村:練習メニューは与えられるの?

吉田:これまで先輩が培ってきた練習を元に、部員がアレンジしていきます。いつどんな練習をしていたのかを参考に、「昨年、失敗したなら、今年はこの部分だけ変える」などと考えて実行します。最初からすべて構築するのは難しいけれど、良かったメニューを引き抜けばいいので助かっていました。

栗村:吉田選手はどんな提案を?

腕組みをする吉田選手

吉田:一時「思い切って休む」ことも提案しました。在学時代は4年に一度のユニバーシアードがあって、選手が鹿屋から半数選ばれました。「自分で練習メニューを考える」というのは、今のトレーニングにも役立っています。

栗村:鹿屋体育大学の自転車競走部が有名になったのは、黒川剛先生の力が大きいと思います。黒川先生の役割は?

吉田:僕らがロードレースをやりやすいようにスポンサーを探しに尽力してくださっています。僕らのために営業してアタマを下げてくれている。それを選手はわかっていたから、「成績で恩返しするしかない」という感じで練習に打ち込んでいました。いっぽうで、練習を見ているときはアドバイスをしてくれます。

栗村:大学でありながらプロチームのように協賛企業が多いのは黒川先生の努力のたまものなのですね。チームのマネジメントを担い、その下で部員が練習をつくる、と。

吉田:そうですね。

栗村:毎年、大学には有望な選手が入っていますが、そのあたりの実感は?

吉田:とてもうれしいことです。ただ、最近は各地の大学も力を入れるようになっています。

栗村:大学のヘッドハンディングは熾烈なのですか?

吉田:熾烈です。鹿屋は国立ですので授業料が免除になりません。スポーツに力を入れる私学は優遇されることも多いので、人材が散らばっていると思います。

栗村:プロチーム以上にプロチーム的なスカウト合戦ですね。

吉田:そうですね。中央大学、早稲田大学、朝日大学など。鹿屋は年間の授業料が約50万円です。これがかからないなら親孝行ですよね。

栗村:吉田選手は卒業後に、ブリヂストンアンカーに入って、その後シマノレーシングへ。現在はマトリックスに在籍しています。海外レースの経験も豊富にあります。国内と海外のレースの違いは?

吉田:フランスのレースにはフランスの流れがあって、ベルギーのレースにはベルギーの流れがありました。国ごとに個性を感じます。ヨーロッパで活躍するには、自分の脚質に合った国を選ぶ必要があります。「本場」という言葉で、ひとくくりにできないかなと。

パワーの数値でわかった
日本人のレベルは向上している

栗村:日本のレースはどう思いますか?

吉田:ここ数年、レースで走行データを採っていたところ、年々、パワーメーターの数値が上がっていました。集団走行でも、勝負どころでも。

栗村:吉田選手の個人的な能力が上がっているのはもちろん、プロトン(メイン集団)の速度自体が上がっている、と。

吉田:はい。レースの展開で落ちるときもありますが、一回上がったときの数値は以前より高いです。

栗村:おもしろいですね。これは海外選手がもたらしたものでしょうか?

吉田:絶対にそうだと考えています。集団のペースが上がるとき、勝負どころのとき、前を走っているのは海外選手なので。

吉田選手とホセ選手

栗村:ホセ選手にバトンタッチします。
吉田選手のパワー数値向上の話を聞いてどうですか?

ホセ:私も日本のレースのレベルの変化は感じています。日本に来た当時、レベルの差は歴然でした(来日わずか14日目に伊吹山ヒルクライムで優勝。2位に2分半以上の大差をつけた)。しかし、いまは違います。あれから4年間ですごく上がっていると感じます。

栗村:スペインの仲間に日本のレースを聞かれることはありますか?

ホセ:ありますが、スペインでは日本のことがほとんど知られていません。来れば勝てると思っています。私の返事は、前回お話したように「日本のレースはハードだよ」です。「カルチャーが違うから生活もハードだよ」とも付け加えています。
ただ、これは日本人も同じです。私の目から見て、日本人がヨーロッパに行くと実力の50%も発揮していないように感じます。レースで日本人は目立たないといわれますが、そんなことはありません。海外に出ると戦えないのは環境によるところが大きい。

栗村:選手としてもっているパフォーマンスが出ない?

ホセ:そうです。日本はすべてそろっています。すべてのモノが簡単に手に入ります。毎日の生活が便利です。海外は決して便利ではありません。

栗村:私も海外に行ったことがあるので身に覚えがあります。ヨーロッパやアジアは「これないの?」とびっくりすることが多い。現地生活に動じない人間的な強さが必要ですね。

吉田:同感です。
それに、経験もモノをいうと思います。ブリヂストンアンカーの1年目の海外遠征で感じたのは、向こうの選手はコースを知っているから試走もしない。たとえこちらに力があっても、そのハンデは大きい。自身で経験したことを次に生かせるように、海外経験が一発勝負で終わらないよう数をこなす必要があると思います。早い段階で海外に渡ることも大切だと思います。

栗村:「通用しない理由は実力以外にもあるぞ」。ホセ選手の言葉にヒントをもらえましたね。

実現なるか
ホセ選手の日本人帰化

栗村:ホセ選手、日本はJプロツアーがあって、UCIレースがあります。レースの数は多いでしょうか?

ホセ:レースはたくさんあるほうが好きです。シーズン(3月~11月)は長いと思います。コンディションを落とさずに何カ月もの間ベストを尽くさないといけません。ステージレースは5~6日間だったとしても、事前の準備を考えると精神的な苦痛は数カ月続きます。

栗村:日本で改善したほうが良いところは?

ホセ:レースの場所です。クリテリウムはコース幅が小さいと危ない。大きなサーキットで行ってくれるとうれしい。

栗村:これはデリケートな質問ですが、スペインでのドーピングの見方は?

ホセ:ドーピングがなければやっていけない、と話す人もいれば、日ごろの毎日の努力を信じている人もいます。
何年か前に大きなアンチドーピング運動がありました。世間に明らかになったことで、ロードレースのイメージはとても悪くなりました。スポンサーが離れてチームがすたれる原因をつくりました。大きなスポーツ(サッカーのプロ選手)は守られて、自転車や他のスポーツ選手は大々的に告発された不条理もありました。

栗村:私が知る限り、日本はクリーンです。クリーンな文化はロードレースのお手本になるのでは?

ホセ:同意見です。だから、私はここ(日本)にいるのが好きなのです。

栗村:前回のゲストは宇都宮ブリッツェンの増田成幸選手でした。2016年シーズンはホセ選手と接戦を繰り広げました。彼の印象は?

ホセ:ナンバー1のライバルです、笑。尊敬していますし、彼を目指しているところもあります。とりわけ、上りが強く、タイムトライアルやスプリントもこなしてしまう完成された選手です。

栗村:レース会場で話はしますか?

ホセ:仲良いですよ。彼は自転車(ロードレース)のあるなしに関わらず、本当に良い人です。

栗村:今年の1月のインタビューの時は、増田選手もホセ選手を好きだと話していました。自転車の取り組み方が真摯で、日本人以上に日本人らしく謙虚な選手、と。

ホセ:うれしいです。ありがとうございます。

栗村:ここだけの話だけど……、増田選手のいる宇都宮ブリッツェンに入る気は?笑

ホセ:マトリックスに移籍したとき、チームの対応に価値を感じました。いまも価値を感じています。マトリックスというチームが大好きです。

栗村:残念。私からチームの安原昌弘監督に丁重にお話ししたかったのに。

ホセ:(笑)

栗村:もうひとつ、ホセ選手にとても聞きたかった質問を。
スポーツ選手は、活動している国で帰化することがあります。考えていますか?

ホセ:そうですね。帰化したいです。

栗村:ソノ気はある、と。

ホセ:はい。ただ、日本は法律が厳しいと聞いています。まずは日本語をとにかく話せるようにならないと生活できない、という不安もあります。

栗村:本当に日本を気に入ってくれているのですね。

ホセ:日本が大好きですから。

吉田:すごい話が続きますね。

栗村:先ほど安原監督の話をしましたが、スペイン人選手との契約について、吉田選手は監督から何か考えを聞いていますか?

吉田:日本人のレベルの向上やレース界の発展につながる、そういった話をされています。一緒にトレーニングしてパワーの数値はわかっていても、選手としての力量は違うもの、レースで動き方も学びなさい、と。

栗村:監督の狙い通り、レース界の底上げができて、いい流れになっていると感じます。選手たちの苦労は多いと思いますが……。

吉田:方向性は合っていると思いますので、この流れは続いてほしいです。間違っていたら海外から選手は来ないですし。もともと海の向こうのスポーツなのですから。

インタービューを受ける吉田選手

栗村:そういえば帰化の話は、ホセ選手の奥さんは反対しそう?

ホセ:彼女も「帰化したい」、そう言うと思います。

吉田:たまに奥さんと会いますが、日本でしっかりと働いています。ホセ選手を見ていると、日本に夫婦で来て、夫婦で日本の文化になじんで、いい完成形だなと感じます。

栗村:最後に、おふたりの今後の目標を教えてください。

吉田:Jプロツアーを1勝以上挙げて、UCIレースも勝ちを狙って、最低でもポイントを積み重ねることが目標です。今年は、いままで取り組んできたことが形になってきて、過去にないぐらい踏めています。心配なのはケガだけです。
長期の目標は東京オリンピックです。チームでも公言しています。

栗村:オリンピックはおそらくフラット系のコースなので、タイプ的に吉田選手は近いですね。

吉田:年齢的にも31歳と、経験がついてきて力を発揮しやすい時期だと考えています。すでに2020年まで迷いなくトレーニングに打ち込めるよう、引退後に何をやるかも決めています。先の不安がなくなったぶん突き進むことができます。それだけに自信もあります。

栗村:ホセ選手はいかがですか?

ホセ:2017年の開幕戦に良い状態で臨むこと。以前は、ひとつのレースに集中して何かトラブルが起きるとペースを崩してしまっていたので、二の舞にならないようにしたい。いちばん勝ちたいレースはツアー・オブ・ジャパンです。

栗村:キャリア全体から見たときの目標は?

ホセ:なんといっても文化です。レースに勝つことより、日本文化を吸収することに価値があります。

栗村:では、帰化して日本のナショナルジャージを。

ホセ:帰化できたときは、すでに自分は選手ではないかもしれません。そうだとしたら、一生日本とかかわれるような仕事に就いていたいです。

栗村:ホセ選手は日本のどういうところに惹かれるの?

ホセ:規律です。みなさん、毎日の仕事をちゃんとこなしています。あとは感謝の気持ち。食べ物も。とても尊敬できる国なのです。

Pearl Izumi
最後にスペシャルサンクスとして、通訳のRuri Takeuchiさんに感謝致します!

Interviewed and Photo by Pearl Izumi