大西勇輝

「スポーツと街がつながる、ハマの基地」THE BAYS

Pearl Izumi(以下PI) 自己紹介をお願いいたします。

大西 今は、株式会社BEACH TOWNの仕事として、各クラブのマネジメント業やプロデュース、ランニングやトライアスロンの指導を、運営側とお客さまと一緒に体を動かす現場に立つほうの二足のわらじでやっています。今はクラブのマネジメントやプロデュースが8割ぐらいです。2割3割ぐらいはお客さまと一緒に走ったり、体を動かしたりする仕事をしています。

PI では、そのプロデュース業務として、ここTHE BAYS(ザ・ベイス)のACTIVE STYLE CLUB(地下1階)のプロデュースに関わっているということですね。THE BAYSは「スポーツと街がつながる、ハマの基地」をテーマに、横浜DeNAベイスターズの提唱する横浜スポーツタウン構想のパイロットプログラムと聞いてます。

また、Sports x Creativeをテーマとして、新たなライフスタイルや産業を生み出していくことで、日本大通り地区や横浜のまち全体に賑わいを創り出していく、いわば発信源のような役割を目指されているのでしょうか?

大西 そうです。その中で、私が運営に携わているACTIVE STYLE CLUBは、”する”スポーツの楽しみを提供し、お客様に健康で活動的なライフスタイルを手に入れてもらう拠点となることを目指しています。
大西勇輝

PI なるほど。面白い取り組みですね。今も個人へのトレーニング指導はやっていますか。

大西 はい。ビギナー向けのランニングレッスンと、あとはホノルルトライアスロンや、これからトライアスロンにチャレンジしたいという方向けのプロジェクトのコーチをやっています。

PI スポーツを始めたきっかけは何でしょう?

大西 もともとは、小学校2年生から父親の影響で少年野球を始めて、いつの日か甲子園に出るのが目標になりました。甲子園が大好きで憧れがずっとあったので、小中高と野球を続けていました。中学校の頃に、神奈川県の名門である横浜高校という高校に憧れて、何とか推薦で入りました。

厳しい環境の中で野球を続けたのが今の糧に

PI ポジションはピッチャーですか?

大西 中学まではピッチャーで、自分の中では中学までが絶頂期でした。高校は何とか憧れの高校に入ったのですけれども、一つ上には松坂大輔さんなどプロに行くような人がごろごろいて、上には上がいました。高校3年間は野球部を続けましたが、自分はベンチ入りで試合に出ることはありませんでした。

憧れの甲子園に選手としては立てなかったけれど、チームとしては高校3年間の間に3回行けたので、すごくよかったと思っています。また、強豪校にいたので我慢しながらも続けていたことが社会人になった今でもすごく生きてます。その3年間、厳しい環境の中で野球を続けたのは今の糧になっています。

BAYS

PI 甲子園に出た後、高校を卒業して大学に入ったときは、1年からトライアスロン部ですか。そのきっかけを教えてください。

大西 高校までで野球は終えました。なぜ終えたかというと、野球イコール甲子園が僕の中では最高到達地点で一番の憧れだったので、高校3年間で野球はやり切って、自分自身は甲子園に出られなかったけれども、辞めずにやり切ったというところでもう満足しました。その後、指導者を目指すという道も無きにしもあらずですが。

では、大学はどうしようと思っていたときに、野球をやりながらもウエイトを自分でやったいたのでトレーニングに興味がありました。当然、スポーツも大好きだったので、トレーニングを教える仕事かスポーツの仕事に就きたいと、何となくぼんやりした思いがあったので、体育大学に行くことを考えました。

結果的には順天堂大学に行くことになります。高校の先生に相談したら、順天堂大学を受けてみたらどうだという話になって、受けることになったのです。体育大なので受験の科目に実技があって、1000メートル走があったのですが、タイムが3分切るか切らないかぐらいで走らないと合格ラインは厳しいということを知りました。

一回、自分で走ってみたら、4分30秒ぐらいかかっていたのです。一般の人だと、それでもそこそこなのですが、野球もどちらかというと瞬発系なので、これでは全然受からないということになったのです。

PI 結構ハードルが高いですね。

自分のペースで、ゆっくり海沿いをジョギングしたりしているのがすごく気持ちよかった

大西 高いです。高校3年の夏に高校野球が終わって受験までの間に、その高校の陸上部の先生にアドバイスをもらいながら、放課後の部活の時間帯に自分でジョギングをしたりしました。横浜高校は横浜という名前なのですが、金沢八景といった結構、海に近いほうにあるので、海沿いを自分のペースでジョギングしたりしていたのです。それがすごく自分の中でははまってしまいました。

PI なんか、トライアスロンに近づいてきましたね。

大西 はい。野球のダッシュ何本といったものではなく、自分のペースで、ゆっくり海沿いをジョギングしたりしているのがすごく気持ちよかった。陸上部の先生からも、自分のペースでゆっくり長く走る日と、タイムを決めて一生懸命走る日を分けてやると速くなるということを教わりました。1週間に1回はタイムを計ろうと先生と決めたのですが、最初1キロ4分半かかっていたのが、だんだん速くなってきました。

野球のようなチームスポーツや球技は成長が分かりにくいのですが、走ることは、距離やタイムで、例えば今まで4分かかっていたのが3分50になったとか、よくなっているのが自分自身すごく分かりました。

その楽しさや気持ちよさと、あとは自分がいいほうに変わっていく分かりやすさというその二つが心を動かして、大学に入ったら個人競技で、少しエンデュランス系のものをやりたいなと思ったのです。

陸上部の先生にアドバイスをもらいながらこつこつ走っていたのが実って、2分56ぐらいで走れるようになり、大学には無事合格できました。いろいろ部活動を調べていて、そのタイミングでトライアスロンジャパン(通称TJ。現在はルミナ)見て、単純に自転車等の写真がかっこいいなと。

また、エンデュランス系イコール長距離のランニングとなると、順天堂大学は箱根駅伝にも出るようなレベルなので、大学から始めるとスタートラインが違いすぎると思ったのです。

陸上部は中高も陸上をやっていた人が行くような所なので、そこは無謀だろうと、笑。大学から始めてスタートラインがみんなと同じ、かつ楽しい競技を探したときにトライアスロンに出逢えたのです。大学に入る前にほぼ決めていました。