心身の充実を目指して、
自分で自分の道を作りあげる

Pearl Izumi(以下PI):トライアスリートの中で、“戸原開人”(とはらかいと)という名は広く知られています。「コナの表彰台に最も近い日本人」と、活躍が期待されているからです。国内では、2014年、2015年「五島長崎国際トライアスロン」優勝。2015年、2016年「全日本トライアスロン宮古島」優勝。海外では、2016年「アイアンマン 台湾」2位、同年の「アイアンマン マレーシア」3位と輝かしい戦績を残しています。今年でトライアスロン歴は10年になるそうですが、どのような経緯でトライアスロンを始めたのでしょうか

戸原開人

戸原開人(以下戸原):2007年の10月、大学1年生の夏休みのあとトライアスロン部に入部しました。初レースは翌年の関東学生トライアスロン大会(関カレ)で、スイムがすごく怖く、バイクはボトルの水が少なく、ランでは脱水症状でフラフラになった苦い思い出があります。フィニッシュラインを切ると同時に倒れてしまい、タイム計測用バンドを巻いた足はゴールラインに入っていなかったので、スタッフの方に運ばれてゴールしました(笑)。

PI:今では考えられない姿ですね。

戸原:スイム、バイク、ランそれぞれの競技では部員の中でも高いレベルにいたので、先輩から「イイ線いけるよ」と言われていました。ところが、いざ3種目の複合競技となると違っていて、オープンウォーター(海泳ぎ)の経験がなく、暑い中で2時間以上レースするという経験もなく、ただただキツイばかり……。「トライアスロンは甘くないぞ」と洗礼を浴びました

PI:もともとソフトテニスの選手でしたよね?

戸原:中学・高校時代から、大学に入ってもテニスをやっていました。ゆくゆくは教員免許を取って学校でソフトテニス部のコーチをするのが夢でした。

ただ、その一方でトライアスロンにも興味を抱いていて、「アイアンマン・ハワイ」に憧れていました。ある日、大学の図書館で、『トライアスロン ジャパン(1984~2009年』(トライアスロン競技の魅力を伝えてきた専門誌。その後、有志が集まって『トライアスロン ルミナ(2011年~)』を創刊)を見て、「これがトライアスロンの世界なんだ」と影響を受けました。トライアスロン部で出場する大会はショートばかりでしたが、ロングディスタンスで勝負したい強い思いがありました。

戸原開人

PI:テニスからトライアスロンへ転身する方は珍しいですね。大学時代は練習の甲斐あって3年生でショートの大会に優勝して、4年生では佐渡の日本選手権で3位にも入りました。卒業後はどうしようと考えていましたか?

戸原:プロ活動しよう決めて、就職は考えませんでした。たいした実績がなく、プロとしてのやり方がわからず、とにかく何もない手探り状態でしたが、卒業後はアルバイトしながら費用を工面して1シーズン過ごしました。しかし、上手くいきませんでした。今、考えると笑ってしまいますよね。若気の至りです……。

PI:その後、「湘南ベルマーレ トライアスロンチーム」の門を叩くわけですね。

戸原:いくつかのチームの練習に参加させていただいて、ベルマーレさんの雰囲気が気に入り、「来てもいい」とありがたい返事をいただいてお世話になりました。所属していたのは2011年~2017年までの6年間。ロングとミドルの大会をメインに出場しました。

PI:この間、戸原選手は、冒頭で述べたように長崎国際の優勝2回、宮古島の優勝2回とロングの強豪選手に成長しました。2016シーズンは、コナを目指してアイアンマン・シリーズを転戦してポイントを獲得し、2017年にコナのプロカテゴリーにも出場を果たしました。これは国内のトライアスロン界にとって久しぶりの大きなニュースでした。

戸原:ありがとうございます。夏に2度落車してしまい、10月のコナは完走するだけに留まりましたが、それでもチームに入ったときの目標は「宮古島の優勝」と「コナへの出場」でしたので、その夢を叶えることができてうれしかったです。

PI:そして、トライアスロンを始めて10年を節目にベルマーレを退団し、来シーズンはひとりのプロ選手として活動を始めます。どのようにして決意されたのですか?

戸原:トライアスロンという競技は、35歳ぐらいまで選手を続ける人が多く、さらに上手くいけば40歳まで活動できます。いま僕の年齢は29歳で、この先は自分で続けるべき環境を構築して30代を迎えたいという強い気持ちがありました。自身でスポンサーを探し、練習環境を整えないと、30代前半で「もう厳しいからヤメよう」と簡単にドロップアウトしてしまうのでは、と。選手としての力はあと5年は伸びると考えていますので、脂が乗るのは30~35歳ごろ。この時期に心身ともに充実しているために、自身で自分の道を100%作りあげていく覚悟を決めました。

PI:海外のトライアスリートの中にはプロ活動を続けるかたわら、バイクブランドを起こしたTJトラクソン選手を始め、アパレルブランドを立ち上げたヤン・フロデノ選手やヘザー・ジャクソン選手らがいます。トライアスロンは他のメジャースポーツよりレースの賞金も少ないですから、ある意味、トライアスロンを長く続けるための側面と言えるかもしれませんね。

戸原:選手はトレーニングに専念するという考え方もありますが、コナに出場するようなトッププロはセルフプロデュースも力を注いでいると感じます。僕も後者をやってみたいという意識が強いのでしょうね。

PI:個人で動くようになって変わったと感じることは?

戸原:身の回りの方との関係がよりダイレクトになりました。人と人のコミュニケーションはどういうものか学ばせていただきながら、「動かなければ始まらない。未来の競技人生を良いものに変えよう」とやりがいを感じています。

PI:実は、戸原さんと私の出会いは、Facebookのメッセンジャーでした(笑)。最初、戸原さんからメッセンジャーでウェアサポートのご要望を頂き、お会いしました。

戸原:パールイズミさんはトライアスロン界を盛り上げていると感じていたので、一度話を聞いていただきたくて連絡を入れました。ウエアのデザインが良く、機能も良いので興味を持っていました。自転車(ファクター・スリック)や関連パーツはトライスポーツさんがサポートしてくださることになり、感謝しています。

58人中40人にチャンスがある。
コナを目指す男が肌で感じたこと

PI:2017年のコナ出場は戸原選手にとってひとつの大きな勲章です。完走後、何か思うところはありましたか?

戸原:10以内にランクインしてこそ初めてプロ選手としての価値がある、と感じました。ベスト10以下は、15位であっても30位であっても、ただレースに出場しただけになってしまう、と。
戸原開人

PI:世界各国のトップが集まるコナは、選手間の実力差が大きいということですか?

戸原:いえ、そうではなくて、2017年のコナに出場できたプロ選手は58人ですが、そのうち40人はベストパフォーマンスと少しの幸運があればベスト10に入れる実力者ばかりです。高いレベルで肉薄しています。一方、残りの18人は出場権を取ることができてラッキーだったね、良くて15位までで、ベスト10には入れないという世界でした。そんな中で自身の居場所はというと、落車の骨折がなかったとしても前者の40人には入れず、残りの18人のうちのひとりだったと思います。

PI:2016年の「アイアンマン・マレーシア」で、戸原選手のひとつ上の2位だったティアゴ・ヴィニャル選手がコナで13位に入りました。これを踏まえると自分に厳しい評価のように感じますが。

戸原:ティアゴ選手は陽気な性格でよく声をかけてくれます。昔から知っていますが、彼はコナでベストレースをしました。得意のスイムで第1パック(集団)に乗り、バイクは遅れるも、ランでつぶれてしまった選手が多いなか根気強く走りました。僕はスイムで遅れるので、バイクでパックに入れずに一人旅になることがありますが、その欠点を克服すればコナで上を目指せる、と良い刺激を受けました。

PI:3月から練習環境を神奈川県から茨城県に移したそうですね。

戸原:先輩トライアスリートである松丸真幸さんのご厚意で、2019年の茨城国体に向けてトライアスロン強化に取り組む茨城県の契約選手となることができ、新日鐵住友金属鹿島製鉄所のプールも使わせていただけるようになりました。海も近いですからオープンウォーターもできます。

PI:スイムを伸ばすミッションを持つ戸原選手には最高の環境ですね。

戸原:はい。ロングの大会ではバイクのドラフティング(前の選手を風ヨケに使うために、すぐ後ろにつくこと)を禁止するために、前走者と車間距離を12mを空けるルールがあります。とはいえ、12m空けたとしてもパックに入っていると走るのがラクで、みんなそれで平均速度を上げています。バイクに強いライオネル・サンダース選手やセバスチャン・キーンル選手、キャメロン・ワーフ選手などはソロでも巻き返せますが、そうでない選手はバイクパートで上位と差を広げられないように、スイムで第1パックに入れる泳力を身に着けることが非常に重要です。

PI:茨城県のトライアスロンの国体選手となると、今後はショートにも参戦されるのですか?

戸原:ショートは30歳以降になると勝つのが難しいと言われますが、瞬発的なスピードはまだ衰えていません。何より、力(スイムを含めた3種目)を伸ばすいい環境をもらえたことに高いモチベーションを感じていますので、なんとしても期待に応えたいです。そして、国体に向けてトレーニングしてきたことは、ロングにも上手くつながると考えています。自身の価値を高めるためにも、スポンサーとなって応援してくれ人のためにも結果を出していきます。

PI:独立したばかりですから、やるべきことは多いと思います。そうなるとレース活動も大変そうですが今年の予定は? 

戸原:4月の宮古島を皮切りに、5月の茨城県の潮来市での国体予選、6月の五島長崎、7月のITUのロングの世界戦、10月に福井国体の茨城県メンバーとしての出場を考えています。

並行して8月の終わりから、2019年のコナの予選が始まっているので、年内に一度アイアンマンを走ります。今回からランキング形式ではなく、一発形式のクオリファイに変わっているので、もしコナの権利が取れれば、そこから本番に向けて走り出します。

PI:国体出場やコナへの再チャレンジが当然視野に入っているというのはわかります。意外だったのはITUの世界戦。こちらにも出場されるのですね。

戸原:世界的にロングのトライアスロンの潮流はアイアンマンです。ITUは選手層があまり厚くありませんが、それでも各国から実力の高い選手が集まり、そこそこの選手が集まり、それほど速くない人も集まってと、レベルが上から下まで広く分布します。その中でレースをすれば、自分の実力がどのあたりなのか、上位何パーセント内にいるのかわかってきますので、立ち位置を推し量る目安として出場したいと考えています。

PI:なるほど。結果を見て3種目のトレーニングの時間配分やメニューの再構築などを進めれば、より質の高い練習ができるようになりますね。また、先ほど2019年のコナの予選に参戦するという話がありました。本大会で狙うのはズバリ表彰台!?
戸原開人

戸原:表彰台はもちろんですが、その前にベスト10に入ることです。ベスト10に入ったときに先が見えてくるのか見えてこないのか、もっと上にいける選手なのかそうでないのか、そこで目標を新たに設定するつもりです。

PI:過去、日本人がコナにチャレンジした中で、ベスト10に入った選手は宮塚英也さんただひとり(1988年9位、1994年10位)。以来、誰も更新することができていません。ぜひ入ってほしいという思いがあります。

戸原:日本人選手がコナのベスト10から長らく遠のいていることは承知しています。ベスト10の選手は世界中の人が注目します。そんななかで全然蚊帳の外にいた国籍の選手がランクインしたら、「この選手は誰なんだ? 何なんだ?」と話題になって、きっとおもしろいでしょうね。自分がそのひとりになりたいと努力を続けますし、夢見てもいます。

PI:仮に年齢が35歳を越えていたとしても、プロ選手としてトライアスロンを続ける?

戸原:ただ続けたいから続けるというのはないです。とはいえ、トライアスロンを続けたほうが人生が豊かになるという生活を築いていくのが理想なので、その時点で、続けたら幸せるになると思えていたら続けたいですね。